月アタマ恒例、読書記録。
今日やっと返却した嶽本野ばら2冊の再々々々読とか、「豊饒の海(二)奔馬」を読みはじめたけど面白くなくって結局読み終わらなかったり。振り返ると、あまり読まなかったんだなぁと。
いつものとおり、ひとこと感想+αでどうぞ。
浅野いにお「ソラニン2巻」
泣きました。完結してしまった。
梅図かずお「おろち」
ネコバコにて完読。オチてる時に読むといいかも。
田口ランディ「被爆のマリア」
いまという時代からとらえた、被爆体験が語られている、小説。4編の短編から成っている。
作中に被爆者であったり、語り部が登場する。僕の周りにもかつて被爆者がいた。僕の父方の祖母と母方の祖父だ。
僕の父方の祖母、おばあちゃんは、その日、生まれて7ヶ月になったばかりの僕の伯父を背負い、表に出ていて、「ピカ」を見た。そのときのことを「うわぁ、うちゃ、やられた~っておもうたねー」とカラッと語ってくれた。僕が中学生ぐらいの頃だ。しかし、その瞬間のことは話してくれたが、その後のことは話さなかった。僕たちも聞けなかった。ちなみに、0歳で被爆した最も若い被爆者の伯父は今も元気だ。
母方の祖父、おじいちゃんも被爆者だ。ある年、中学生ぐらいだっと思う、のお盆に父がおじいちゃんに戦争のことをごくさりげなく尋ねたことがあった。おじいちゃんの答えは「…………………………」。30秒の長い長い沈黙だった。僕はこのときのおじいちゃんの表情をいまだに良く覚えている。あんなに思いつめた表情は見たことがなかった。
ほんとうに悲惨な体験は語れない。しかし語らなければならない。そんな葛藤が物語中にすこしではあるけれど描かれていた。老体に鞭を撃ち、思い出すだけで身が縮みあがるほどの凄惨な体験を数百人の人間を前にして語る、語り部たちの姿が。
そして、数十年後、被爆体験を語ることのできる人間がいなくなったとき、ヒロシマのありかたが問われるのだと思う。

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