まる一日かけて部屋の模様替えを。
本棚とラックとたんすを横1列に並べたら10センチほどオーバーしていたので、今までL字型の配置にしていたけど、ラックの幅を縮めて横1列配置に。圧迫感が出るかなと思ったけど、そんなことはなく、逆に今までより広く感じる。
この部屋に越してきて1年。もっとも不自由してた所をやっと直せた。
家具の下には青いままの畳があった。しばらくは日焼けの跡が残ったような、こそばゆい部屋とすごそう。
一週間前になるけれど、横川シネマで「殯の森」を観た。ひさびさに映画観て打ちのめされて、なかなか消化できずにいた。日が経つにつれて、この映画に対する感想が変化しているのでその経過なんかを書こう。
まず。映画を観ているときは、その説明のなさとツッコミ所の多さにちょいと腹立たしかった。直感というか直情で撮ってる感じは伝わるのだけど、映像に振り回されて振り落とされた感じがして、スクリーンの前で取り残されてしまった。これからいったいどうすればいいんだろうかと呆然とするしかなかった。
この映画は、いままで観てきた映画のつくりと全く異なったものだったんだ。ナンセンスないい方をすれば、映画文法、らしきものの枠をはみ出てしまった作品。”思い”とか”感情”なんかを言語化せずにそのま。”思い”として”感情”として客にぶつけている。すぐさまにそれを受け取る心構えのなかった僕は全くもうコテンパンにやられてしまっていたんだ。
数日経って、記憶に焼きついた映像を見返してみると、面白いことに気が付いた。「しげきさん」は死に場所を目指して森に入ったと思っていたんだけど、そうじゃないらしい。彼は森の奥へ行けば行くほどに生き生きとし、ラストシーンの穴に身を埋めるシーンでは圧倒的に”生きた”表情をしている。生きている実感なくケアホームで暮らしていた彼は”生”を求めて森に入っていたんだ
ただひとつ、未だに釈然としないところがあって、「まちこさん」は何に救われてラストシーンのあの晴れやかな表情へたどり着いたんだろうか、ということ。思い返してみても、思いつくフシがない。なにか見落としていたのかもしれない。
この映画のいちばんの見所は、森や茶畑のグリーンのコントラストもそうだけど、ケアセンターでのおじいちゃんおあちゃんの表情だと思う。古い家屋の畳の上で安心した表情をしていた。十年前、おばあちゃんがいた塩ビシート床とビニルの壁紙と合皮とに囲まれた老人ホームの人たちの表情とはぜんぜん別のものだった。
本間四畳半さんの企画ライブで、エマーソン北村,塚本功,武島聡(敬称略)という、ありそうで今までになかった取り合わせのライブを見に西条は賀茂輝(かもき)酒造さんの円座(わろうだ)へ。 この酒蔵がすごい雰囲気よくって、古いつくりをそのまま生かしてギャラリーのようにしてあった。昼間、明るいときにまた訪れたいな。
前半をそれぞれのソロとデュオで、やってくれた。塚本さんはいくつかのバンドをかけもちしてはいるけれど、3者ともさまざまなアーティストのサポートメンバーとして全国を駆け巡ってるツワモノども。ソロでの個性もだけど、セッション的に行われたヂュオのステージはそのツワモノ具合がでてた。僕的ベストは武島×エマーンのやつ。めっちゃしびれた。
休憩中には賀茂輝の熱燗片手に手打ちの新そばをいただく。親戚のうちにお邪魔したみたいだった。
後半はトリオ。椅子(一升瓶ケース)を取っ払ってスタンディングに。この3人でのステージは初なので、一曲ごとにその手ごたえを感じ取りながらやっているようだった。スタンダードナンバーがビシっと決まったときの、あの気持ちよさは他にはない。もう気持ちすぎる。アンコールはもちろん、ネタがないなんていいながら再アンコールもやってくれた。ちょとどころじゃい、いいライブだった。
クアトロにねこ虫の第三期ラストとなるライブを見に行った。ねこ虫のライブを見るのはこれで3回目になるのかな。初めて見たのもクアトロのSHIN-GEN-CHIだったなぁ。
ねこ虫のステージ、いつもどおりの口あんぐりに始まって、イズミさんがブログで予告してたようにお客をステージに上げてくれた。ハーメルンの笛吹きにいざなわれるように、「みなしご」とか「カタワ」なんて毛筆で書かれた半紙を手にみんなステージにあがる。ちなみに僕のには「ゆめQ」と書かれていた。どうしよう、面識ないんだけど。
クアトロのステージへ上がるのは当然はじめてだ。シールドがうねうね這い回ってるところで動き回るのはずいぶんと神経使うことなんだ。とか、暗くても意外と客の顔が見えるもんなんだ(薄く客電ついてたけど)。とか、一通り関心してさっさとステージを降りた。何したってわけじゃないけどすごいドキドキした。夢にも願わなかったことが叶ってしまった。
この日はいろんなジャンルの5バンドが出演したんだけど、印象に残って、もう一回見てみたくて、夢にまで出てきて、そのうち禁断症状が出てきそうなバンドはねこ虫だけだった。そうゆう意味でオンリーワンだし、ナンバーワンなバンドだ。またいつか、アンバランスなドラミングと不穏なベースとエキゾなギターと怪しいアコーディオンと不幸なボーカルがいっぺんに襲い掛かる悪夢が見たい。
CDを十字に縛る麻紐は呪われるからほどかないまま
HEATWAVEの山口洋さんのライブへ横川シネマへ。山口洋さんといえば、横川シネマで初めてライブイベントを行ったひとだ。もう6年も前になるらしい。
去年の3月にJIVEであったライブを見ての印象は、孤高なロックンローラーといった感じを受けたんだけど、今日の山口さんは隣のパンクおやじって感じだった。旅から旅の演奏人生を続けているこの人は、その土地の空気とか磁場とか、つまり「場の力」をあまりにも簡単に自分のものにしてる。その土地でしかやり得ないことをできてしまうんだ。だからこそ、この日はここ横川シネマでしか体現できない山口洋をやってくれた。
右足で大きくリズムをとる、その仕草に若き日のジョー・ストラマーが重なって見えた。クラッシュの話がさながら漫談みたいで楽しかったなぁ。
アンコールでの客とのやり取り「やって欲しい曲は?」「荒野の風」「OK」その即答ぶりに鳥肌がたった。「荒野の風」は代表曲のひとつだからいわゆる「レア曲」ではないんだけど、あのタイミングで「OK」と即答できるってことは、何を注文されても答えるつもりだったに違いないよ。とんでもない覚悟で音楽やってるよこの人。カッコえかったー。
日曜日は広島県の西端にある大竹市の「暴力追放市民総決起大会」という仰々しいイベントに、二階堂和美さんのライブ見たさに潜り込む。もちろん誰でも入場できるイベントです。しかも無料。つぶつぶいちごポッキーつき(遅れて入ったので貰えなんだ)。
「大竹が生んだ天才アーティスト」なんて随分な紹介されて登場したニカさん。リバーブが存分に効いた会場の、その響きを楽しむように歌いだす。今日は声のノリがすごくよくって、ギターを抱えて直立不動の姿勢から放たれる声がコロコロと踊っていた。ローブのような真っ赤なワピースが法衣のようで、菩薩様みたいだった。童顔でニコニコ笑顔の菩薩様。「なみだの色」から始まった、歌詞の聞き取りやすいたおやかな曲で構成された今日のセットは「愛の賛歌」で〆てくれた。ホールに集まった子供からお年寄りまでの皆がニカさんの歌声をじーっと聴いていた。やっぱりこのひとはすんごいよ。
広島県警音楽隊との競演は、まるでNHKの歌番組みたいだった。曲は「涙そうそう」「東京ブギウギ」「千の風になって」。「東京ブギウギ」でのニカさんのブレイクっぷりが素晴らしかった。もっとステージが広ければもっととんでもない動きをしたのになぁ。とんでもない動きをするニカさん、年末にクアトロでみよう。
「ミュージシャンになったゆうんは聞いたけど、はじめて歌きいたねぇ」「もっとおとなしいんかと思っちょったよぉ」なんて感想があちらこちらで言い合われていた。お土産に爽健美茶もらった。
夜はCAFEネコバコ4周年記念「殿祭り!!」。3年ぶりの殿方充さんはワンマン慣れしてる以外は何にも変わっちゃいなかった。内容は、世界平和のためにも、自粛。1000年先の未来から見たガイジンのネタが神懸り的に面白かった。まったくジーザスなお方だ。ジジシャツにブリーフにハイソックスというすべて白でコーディネートされたファッシな格好を女子がカメラでバジャバジャととっておった。
・江國香織「ホリー・ガーデン」
江國さんの本を読むと、どうしてこうも清々しくなれるんだろう。終わってしまった恋を葬り続ける果歩の日々は永遠に続いてほしくも、明日にでもやめてしまうべきでもあるようで、その儚さに危うさに胸をつまらせてしまう。大人がしてることをきちんとしないと、自分が大人だっていうことを忘れちゃうよね。
・枡野浩一「一人で始める短歌入門」
短歌の楽しみ方入門、的な本。歌集をまともに読んだことのない僕にはうってつけな一冊でした。
CHINNTAIでの企画に応募された一般の方々からの作品に歌人・枡野浩一さんの愛のある評がついたものなんですが、その評の楽しいこと。一首の短歌から、その歌が生まれたバックグランドストーリーを想像したり、作者の人柄を妄想したり、替え歌的にパロディをつくってみたり。と、「短歌って、こんなにも楽しいものなんです」って感じが全面に溢れてる。
・嶽本野ばら「シシリエンヌ」
野ばらさん逮捕の報が僕のケータイに飛び込んだときは、ほんとうにおどろいた。一瞬、何がなんだかわからなくなってしまった。数日が経ち、数少ないニュースを読んで感じたのは、今回の逮捕って計画的なものだったんじゃ…というものだった。ドラックジャンキーになる人は新たな刺激を求めて次々と薬物に手を出す傾向があるとおもうんだけど、野ばらさんは、この記事を書いてる時点で判明しているかぎり、タバコよりも依存性の低いgrassのみだ。そして、タイミング。「Fetish」という全仕事をまとめた本が3月に出たばかり。それに先々月だったか、「野生時代」に掲載されたエッセイの出来損ないみたいな私小説、小説家が断筆してミュージシャンになろうというもの、の酷さを見たばかりだったので、野ばらさんは自分で自分にピリオドを打ったんじゃ、と思えてならない。あくまで個人的な思惑なんだけど。
さて、「シシリエンヌ」。逮捕の報を知ったとき、この本読まなくちゃと思った。野ばらフリークのYちゃんが「これだけはついていけない」とのたまったほどの本。執拗なほどの性描写に目を奪われてしまいそうだけど、この本の要は197ページの館でメリザンドと名乗る貴方が言い放つセリフに集約されてるんだ。
「悲しいのよ、既に。ありきたりなのよ、十分に。君が男子で、私が女子である限り」
・益田ミリ「上京十年」
9月中、外出するときに必ずカバンにウエストポーチに入っていたエッセイ。肩の上に乗っかってた重荷がほろほろと取れて落ちてゆくような、晴れやかな気分になれる本だった。
エッセイの合間に挟まれたイラストつきの俳句(季語がないから川柳かも)が爽快。なんだか短歌になりそうなんだけど、下の7・7に何かを付け足すと、とたんにチープになってしまう。完結してるんだ。ちょっと紹介します。
強くなる汚れるわけじゃないと思う温かい言葉なんだよ「また明日」
重ねぬりペディキュアみたいな毎日だ
・穂村弘,東直子,沢田康彦「短歌はじめました。」
「猫又」という短歌結社(短歌サークル)に寄せられた短歌を主催の沢田さんとともに歌人の穂村さん東さんが座談会的に評をつけたもの。女優の本上まなみさんや、漫画家の吉野朔美さん、ときに高橋幸宏さん、もちろん一般のひとたちからも多くの短歌が寄せられてて、題詠の切り崩し方やことばの選び方に驚かされてしまう。そして穂村さんのキビシイ評や東さんのあたたかい評、沢井さんのフォローと語り手も饒舌で、その雰囲気の楽しさが伝わってくるのだ。
でも文語や旧仮名(「ゐ」とか「ゑ」)が混じると、とたんに取っ付き難くなるんだけど、どうしてわざわざ格好付けてそうするんだろう。一人称が「我」なのはどうしてなんだろう。普段絶対に使わない言葉なのに。ルー語ライクでベリー格好バッドです。
