映画「パレスチナ1948-NAKBA-」を観た。
差別と虐待を受けてきた人たちが、自らのユートピアを求めて、先祖が生まれた地とはいえ、異国に踏み出すには、勇気がいっただろう。
ある日突然、ここは我々の先祖の土地だからと、外国人が強い外貨と武器を持って地上げしに来たらどんな気持ちだろう。
双方とも弱い人間なんだ。弱いからこそ武器をもってしまう。武器があるから戦ってしまう。戦うから殺してしまう。殺られたから殺りかえしてしまう。殺られそうだから先に殺ってしまう。老人も女も子供も敵になりそうだから殺してしまう。弱さが生んだ恐れが暴走して”虐殺”が起きてしまった。なんてことだ。
この映画のキーワード、1948年。ユダヤ人入植者にとってイスラエルが国連決議によって建国したこの年は、その地に住んでいたアラブ人にとってはNAKABA(大惨事)となった年となってしまった年だ。悲劇の引き金が引かれたのはおよそ1000年前のイスラエル王国滅亡にあったはず…だなんて昔のことを引っ張り出すと際限ないんだけど、世界各地に散り散りとなり、ホロコーストを経験し、行き(生き)場を失ったユダヤ人たちには帰る場所が必要だったのだろう。ユダヤ人らに同情できるほど彼らのことを知らないけど、60年前の彼らの弱さと、かの地への希望は、キブツダリアの人たちのインタビューや暮らしぶりから伝わってきた。
「いったいどうしたらいいんだ。大半の土地をアラブ人に返せば済むのか」序盤、タクシーの運転手が声を張り上げて訴えたこの言葉を、劇中、何度も頭の中で反芻する。いったいどうしたらいいのだろう。終盤に少しだけ示されたユダヤ人とアラブ人がともに生きる術。武器を持っても何も解決しないことにひとりでも多く気づいて欲しいと思った。

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