先日、横川シネマで、映画「バックドロップクルディスタン」を観た。
「何にも知らない若者」視点でのつくりにすごい好感を持てた。クルド人問題を解説しつつ、カザンキラン一家の闘いに密着した前半と、トルコの中のクルド人知るための旅。前半で溜めに溜めた疑問を後半で一気に解消しつつ、あらたな疑問を抱かせるつくりはすごい良かった。
それでも映画を見終えても、もやもやしたものがどうにもぬぐえない。
最ももやもやしてるのは"難民"。どうしてカザンキラン氏は家族を巻き込んでまで日本にやってきて"難民"となろうとしたのか。クルドの独立運動に関わりさえしなければ、トルコのクルド人として生きさえすればトルコで親戚と友人に囲まれて暮らせたのに。内側からトルコを変えることだってできるのに。親戚を巻き込みたくなかったからだろうか。あの洗脳的なほどの愛国教育を子供たちに受けさせたくなかったからだろうか。いずれにせよ、生き難さの代償はあまりに大きいのではないか。自由に政治活動できなくても、差別を受け仮に弾圧されようとも、人は生きてゆける。もつろん故郷を離れても人は生きてゆける。
あと、監督が終始カザンキラン一家にとっての「いい人」であり続けたことにやや憤りを感じた。怒らせることを嫌われることを恐れて追求すべきことを聞いてない。「あなたとは違うんです!!」と言われるぐらいの覚悟と根性みせてほしかった。
生き難さの代償
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