・江國香織「ホリー・ガーデン」
江國さんの本を読むと、どうしてこうも清々しくなれるんだろう。終わってしまった恋を葬り続ける果歩の日々は永遠に続いてほしくも、明日にでもやめてしまうべきでもあるようで、その儚さに危うさに胸をつまらせてしまう。大人がしてることをきちんとしないと、自分が大人だっていうことを忘れちゃうよね。
・枡野浩一「一人で始める短歌入門」
短歌の楽しみ方入門、的な本。歌集をまともに読んだことのない僕にはうってつけな一冊でした。
CHINNTAIでの企画に応募された一般の方々からの作品に歌人・枡野浩一さんの愛のある評がついたものなんですが、その評の楽しいこと。一首の短歌から、その歌が生まれたバックグランドストーリーを想像したり、作者の人柄を妄想したり、替え歌的にパロディをつくってみたり。と、「短歌って、こんなにも楽しいものなんです」って感じが全面に溢れてる。
・嶽本野ばら「シシリエンヌ」
野ばらさん逮捕の報が僕のケータイに飛び込んだときは、ほんとうにおどろいた。一瞬、何がなんだかわからなくなってしまった。数日が経ち、数少ないニュースを読んで感じたのは、今回の逮捕って計画的なものだったんじゃ…というものだった。ドラックジャンキーになる人は新たな刺激を求めて次々と薬物に手を出す傾向があるとおもうんだけど、野ばらさんは、この記事を書いてる時点で判明しているかぎり、タバコよりも依存性の低いgrassのみだ。そして、タイミング。「Fetish」という全仕事をまとめた本が3月に出たばかり。それに先々月だったか、「野生時代」に掲載されたエッセイの出来損ないみたいな私小説、小説家が断筆してミュージシャンになろうというもの、の酷さを見たばかりだったので、野ばらさんは自分で自分にピリオドを打ったんじゃ、と思えてならない。あくまで個人的な思惑なんだけど。
さて、「シシリエンヌ」。逮捕の報を知ったとき、この本読まなくちゃと思った。野ばらフリークのYちゃんが「これだけはついていけない」とのたまったほどの本。執拗なほどの性描写に目を奪われてしまいそうだけど、この本の要は197ページの館でメリザンドと名乗る貴方が言い放つセリフに集約されてるんだ。
「悲しいのよ、既に。ありきたりなのよ、十分に。君が男子で、私が女子である限り」
・益田ミリ「上京十年」
9月中、外出するときに必ずカバンにウエストポーチに入っていたエッセイ。肩の上に乗っかってた重荷がほろほろと取れて落ちてゆくような、晴れやかな気分になれる本だった。
エッセイの合間に挟まれたイラストつきの俳句(季語がないから川柳かも)が爽快。なんだか短歌になりそうなんだけど、下の7・7に何かを付け足すと、とたんにチープになってしまう。完結してるんだ。ちょっと紹介します。
強くなる汚れるわけじゃないと思う温かい言葉なんだよ「また明日」
重ねぬりペディキュアみたいな毎日だ
・穂村弘,東直子,沢田康彦「短歌はじめました。」
「猫又」という短歌結社(短歌サークル)に寄せられた短歌を主催の沢田さんとともに歌人の穂村さん東さんが座談会的に評をつけたもの。女優の本上まなみさんや、漫画家の吉野朔美さん、ときに高橋幸宏さん、もちろん一般のひとたちからも多くの短歌が寄せられてて、題詠の切り崩し方やことばの選び方に驚かされてしまう。そして穂村さんのキビシイ評や東さんのあたたかい評、沢井さんのフォローと語り手も饒舌で、その雰囲気の楽しさが伝わってくるのだ。
でも文語や旧仮名(「ゐ」とか「ゑ」)が混じると、とたんに取っ付き難くなるんだけど、どうしてわざわざ格好付けてそうするんだろう。一人称が「我」なのはどうしてなんだろう。普段絶対に使わない言葉なのに。ルー語ライクでベリー格好バッドです。
